包み隠さず精神科

現役精神科医が精神医療の内情を、包み隠さず話します

家族に捨てられた精神患者たち

精神科病院の中には慢性期病棟というものがあって、なかなか退院できずに長い時間入院して過ごしている患者がいる。どれくらい長い時間かというと、「病院の創立からずっといます」なんて猛者が紛れていたりするぐらいだ。時間にして50年、60年になる。

私が現在勤務している病院は比較的新しい病院なので、最も長い人でも40年に満たないぐらいだろうか。とはいえ40年だ。人生のほとんどを入院して過ごしている事になる。

退院できない理由は様々だ。最も多い理由は病状が安定しないからだろう。こういった長期入院になる患者のほとんどは統合失調症を患っており、治療抵抗性で適切な治療をしても幻覚や妄想が抑えきれないのだ。最近でこそ早期治療を行えばまずまずコントロールできる病気になってきているが、当時は治療法も確立されておらず、未治療で増悪の一途を辿ってきた人も多い。幻覚妄想が体に染みついてしまい、取り切れないのだ。

 

そういった幻覚妄想で退院できない患者の中に紛れて、なぜ入院しているのか分からないぐらい落ち着いている人達が少なからずいる。薬の必要性を理解してきちんと飲んでいて、特にトラブルを起こすこともない。病棟内で交友関係も盛んに築いている。院内の売店はもちろん近くのスーパーすらも一人で行き、普通に買い物をして帰ってこれる。

カルテをさかのぼってみても(古いカルテは倉庫にしまわれており、ここ5年ほどしか簡単には遡れないのだが)、ただただ落ち着いて過ごす日々が書かれているのみで、精神症状はほとんど目立たないように見える。それではどうして退院していないのかというと、一つは本人に退院する気がないパターン。30年40年同じ場所に住んでいるのだから、もはやその人にとっては病院こそが家なのだ。しかしこのパターンの人は、時間をかけて環境を整えていけば帰れることもある。問題はもう一つのパターン、家族が拒否するパターンだ。

 

今私は、一人の患者を退院させたいと考えている(特定されないよういくつかフェイクを入れている)。その人はかれこれ40年ほど入院生活を続けており、もはや老人の年齢になっている。病棟内では非常に落ち着いて過ごしており、少し話をした程度では何の病気なのか見当もつかないぐらい普通の様相だ。彼は40年前まで住んでいた自分の持ち家を恋しく思っており、帰りたいと願っている。

最近主治医が私に変わり、せっかく病状が安定しているのだから退院の方向で動いてみようと思い、家族に連絡を試みた。残念ながら妻はすでに亡くなっていたのだが、遠方に住む娘の連絡先がカルテに記載してあった。家族は入院後ほとんど見舞いに来ておらず、関係性が良くない事は明らかだった。電話を何度かかけてみるがつながる事はなく、手紙で用件を伝えることにした。退院を希望している事、長い期間症状は落ち着いている事、できれば一度会って話をさせてほしい事、などを書いた。

しばらくのち、返事の手紙が返ってきた。そこにはこんなことが書いてあった。

 

「病院が困っていることは大変申し訳なく思います。しかし私には、その人が過去に行った行動の数々をどうしても許すことが出来ないのです。母にしてきた筆舌に尽くしがたい所業、家中に刻まれた日本刀や包丁の切り傷、私にしてきた暴力などが今も頭から離れません。その人の行動によって近隣の人たちから非難され、親戚一同からは縁を切られました。私と家族の人生は、その人によって壊されました。その人を家族として受け入れることが出来ません。こんなことを言うべきではないのは分かっているのですが、早く死んでほしいと願うばかりなのです。ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありませんが、私がその人にしてあげられることは何もありません。どうかこのまま縁を切って過ごすことをお許しください。」

 

彼はまだ若かったころ、幻覚妄想に操られて激しい症状に見舞われていた。とても幸運なことに薬物療法が奏功し、幻覚妄想は少なくとも表面には出てこないようになった。しかし彼の病気は彼のみならず、家族にも深く傷跡を残していた。

手紙を出すまでは看護師やソーシャルワーカーと、「こんなに長い間見舞いに来ない家族には強く言ってやりましょう。家族なんだから最低限の面倒は見てもらうように伝えましょう!」などと意気込んでいたのだが、この手紙を読んでから、今後一体どうしたものかと困ってしまった。

退院自体は、法律上は家族の同意なく行うことが可能だ。しかし実際のところ家族のサポートなしに40年入院していた人が生活していくのは極めて難しい。ましてこの病気は薬を継続して飲まないと再発するのだ。誰かが薬の管理をしていく必要がある。

 

この人は治療を受けて、今となってはほとんど普通の人なのだが、周囲の人の中では入院前で時が止まっているのだ。家族のみならず、近隣住人の強い反対にあうことも少なくない。

 

私たち精神科医は、ようやく統合失調症を治すことが出来るようになってきたのだが、過去の傷跡を消すことが出来ない。

 

この手紙を読んで以後、家族に対してこれ以上何かをお願いする事は難しいと判断した。かといって、退院したい彼の希望を無碍にする事も出来ない。現在は成年後見人などの制度を利用していくかどうか検討中だが、このような患者と家族の間にある大きな溝をどうしたらいいのか、日々頭を悩ませている。