包み隠さず精神科

現役精神科医が精神医療の内情を、包み隠さず話します

不登校への対応

結論から言うと、行きたくないところへは行かなくていい。なぜその結論に行きつくのかは、以下を読んでもらいたい。

 

不登校への対応は、年齢によって変わってくる。何が違うかというと、小中は義務教育であるという点だ。そもそも義務教育とはなんだろうか。

 

日本国憲法第26条第2項
すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。

 

これが義務教育の始まりだ。
保護者は子供に普通教育を受けさせる義務がある。憲法で決まっているのだからこればかりは仕方がない。行きたくない子供を叩いてでも学校へ行かせる他ない・・・本当にそうだろうか?

条文をよく読んでほしい。「普通教育をうけさせる義務」なのだ。「学校へ行かせる義務」ではない

ほんの一昔前まで、普通教育を受けさせる場はほとんど学校しかなかっただろう。まだ発達障害なんて言葉も認知されておらず、男子は全員丸刈りの時代だ。「周りと同一であること」が良しとされてきた時代、この憲法を遵守するためには学校へ行かす他なかっただろう。なんとなく、どんな手を使ってでも当然学校へ行かせるものだ、という風潮が世間に染みついていく。今までもそうしてきたから、これからもそうしていく。

しかし令和になった今、ふと周りを見回してほしい。世の中は随分と変わってきていて、髪を染めている人も随分と増えたし、職業も多様化していき、膝下以外許されなかったスカート丈だって、ものすごく短くなったかと思いきやそれすらも通り過ぎてまた長めが好まれる時代になってきている。画一的だった世界が、多様性を認める世界に変わってきているのだ。

 

全ての人が通いやすい場所

そんな場所がこの世にあるわけがない。アウトドア派もいればインドア派もいて、おしゃべりも無口も、真面目な人もズルい人も、とんでもない人数が一緒に暮らしているのだ。学校という枠に、一律全員を閉じ込めようというのが土台無理な話なわけで、今まで無理やりねじ込んできていた事がおかしかったのだ。

 

何を学ぶために学校へ行くのだろうか。

勉強?それなら塾や家庭教師、参考書を読むだけでも事足りるだろう。勉強も必要ではあるがが、他にも学校で学べることはあると思う。

・人との接し方
・多くの人とかかわって多様性を知る事
・保護者がいない場所でのトラブルへの対処

などなど、少し考えただけでも色々と浮かんでくる。このあたりを効率よく学ぶには学校は良い場所だろう。しかし人には、得意不得意がある。得意不得意の域を出て、能力的に出来ない事だってある。

目が見えない人に、良く見なさいとは言わない。耳が聞こえない人に、良く聴きなさいとも言わない。
コミュニケーションがうまく取れない人に、集団に馴染みなさいとは、言わないほうがいい。とっさの対処が出来ない人は、とっさの対処が出来ないと過ごせない場所へは、行かさないほうがいい。

不可能とまでは言わないが苦手な事がある場合、他のみんなと同じペースで学んでいくことは難しい。それがどんなに大切な事だったとしても、上達のペースには違いがある。幸いなことに今は学校もずいぶん相談に乗ってくれるし、フリースクールもあるし、病院で診断書をもらってくることも出来る時代なのだから、一つしか正解がない時代ではなくなっている。

学校の枠に入れない人を、わざわざ押し込む必要はない。その人にあった教育をしてあげることが、普通教育になると私は思う。

 

高校になると、話はさらに簡単だ。
もはや義務教育ですらないのだ。行きたくないなら行かなくていい。

良い高校へ行って、良い大学へ行って、一流企業に入る。これだけが正解だった時代では、もうない。勉強していれば正解、ではなくなっているのだ。
将来の夢はYoutuberなんて子供が言う事で親は頭を悩ませたりもするけれど。しかし、何度も言うが時代が変わってきているのだ。幸か不幸か、正解も不正解も、入り乱れている時代になってきているように思う。Youtuberが正解かもしれないし、まったく関係ない別の何かが正解かもしれないし、本当に分からない世界になってきている。

この正解の分からない時代においての最適解は、「したい事をする」ではないだろうか?ビルゲイツの親が、パソコンばっかりしてないで外で遊んできなさい!と注意する親だったら、世界は随分変わっていただろう。メッシの親が、ボール遊びばかりしないで勉強しなさい!と注意する親だったら、これまた世界が変わっていただろう。

 

その子供は何が楽しいか、何が得意か。常々言われる事だけど、出来ることを伸ばしてあげる事のほうが、学校に押し込めるよりも大切な教育ではないかと思う