包み隠さず精神科

現役精神科医が精神医療の内情を、包み隠さず話します

生きる上で大切なことは何か

今朝、夢を見た。

何だったのか覚えていないが、何か悲しいことがあったのか、私は今にも泣きそうだった。誰かとの死別だったかなんだったか、理由は思い出せない。
とにかく、目に涙をためたまま独りで部屋の片づけをしていると、物置の中から古い紙箱が出てきた。小包みと言ったほうが適切かもしれない。中にはいわゆる思い出の品々が入っていて、一冊の古いノートが目についた。よくある学習ノートだ。

青いノートを手に取って開いてみると、自由帳として使われていたことがうかがえる。パラパラとめくっていく。一つのページ、上段に大きくこう書いてあった。

たからもの

その下にはいくつか箇条書きで、当時大切にしていたものが並んでいた。それを見てついに涙腺が崩壊し、号泣したところで目が覚めた。布団にはなぜか涙ではなく涎が垂れていた。

 

目覚めてからふと振り返る。当時大切だったもの。ノートに書いてあった内容は覚えていなかったが、いくつか思い出す。

さいころ、地面に落ちているネジやナットなんかの金属を集めるのが好きだった。工具店に大量に売っているとはつゆ知らず、まるでオーパーツを見つけたかの如く、錆びついた金属部品を拾い集めていた。ポケットの中の小さなネジが、僕にとってのたからものだったのを覚えている。大人になった今、もはや目にも止まらないようなものが、大切だったのだ。

 

今はどうだろうか。一体自分にとってのたからものはなんだろう。
Huaweiの腕時計を身に着けて、galaxyのスマホに同じくgalaxyのイヤホン、iPad片手にNetflixを見て、Steamでやりもしないゲームを買いだめる。

トレインスポッティングという映画は、モノにあふれた世界を揶揄したシーンから始まるのだが、今まさしく、私はモノに囲まれた日々を送っている。この中で、あの頃のたからもののように、絶対になくしたくない大切なものは一体なんだろうか。

 

良い車を、いい家を、いい服を、買い求めることが悪いわけではない。ただ、あれもこれもと買い集めていったところで、たからものにはならないのかもしれない。

さいころと違って大人になった今、気を抜くとなんでも手が届いてしまう。買えてしまう。働く時間を増やせば、他の何かを犠牲にすれば、何とかなってしまう。

無理をする前に、本当に自分にとって大切なものをもう一度考え直しても良いのかもしれない。

車が好き。良いと思う。

サッカーが好き。良いと思う。

家族と一緒にいるのが好き。良いと思う。

ネジが好き。良いと思う。

 

好きなものが昔と違ったってかまわない。明日から変わったってかまわない。ともかく今、何が大切か。

たぶん、自分にとって本当に必要なものは、多くない。本当に必要なもののために、頑張ろう。そう思いなおした夢だった。